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発達障害シングルマザーが起業した

発達障害のシングルマザーが起業、子育ての迷走、奮闘を綴っていきます。

産後の夫婦がどうしたら仲良くいられるのだろうか?

今週は自分の市民活動団体の初講座がある。

タイトルは【産後も夫婦が仲良くいるために~女性にできる3つのこと~】という、

バツありの自分がやるにはなんともおこがましい内容であるが、産後の女性の大変さが少しでも和らげばと思う。

 

 

今ではシングルマザーとして日々1人で子育てしているが、元旦那と2人で子育てしていたときはどうだったかな・・・と振り返ってみる。

とにかく子育てをうまくやることが子どもに対する愛情の証であり、良い親を目指して子育てについて勉強しないのは、責任放棄だと信じて疑っていなかった。

だから時間さえあればネットで調べたり、赤ちゃんを連れて本屋さんで育児本を読み漁ったり・・・とにかく『HOW TO 育児』の母親だった。

 

 

長女は夜泣きがけっこう酷かったので、午前中に日光浴させると質の良い睡眠が取れるという情報を仕入れれば、毎日9時になったら公園へいくか、散歩へつれていく。

体内時計をつくるために食事の時間も毎日決め、5分でも時間がずれようものならイライラし、お昼寝の時間も何時から何時まで!と決め、

 

 

1日のスケジュールが、『いかに夜泣きをさせないようにするか』のみで埋め尽くされていた。元来超めんどくさがりの自分が、スケジュールを組んでそれを5分の遅れも許さないような毎日を自分に課すのだし、ましてや思い通りにいくわけがない赤ちゃんを時間通りに動かそうとするのだから、それはストレスが溜まらないわけがない。

 

 

だが一応その甲斐あって、夜泣きをしなくなった。

だが旦那が休みの日には朝いつまでも寝ていて、家族で動き出す時間や食事の時間がずれて、わたしが毎日必死に作ったこどもの体内リズムを平気でぶち壊すものだから、旦那が休みで家にいる日はかならず子どもが酷い夜泣きをするという鉄板パターンになっていた。だいぶ子どもの世話は上手で、面倒もみてくれる人ではあったのだが、『わたしが必死で作ったこどもの生活リズムをすべて台無しにしておきながら、育メンぶるな!』とよくブチ切れていたことを思い出した。

 

 

今でしょ!』の林先生が言う。すべての教育崩壊の原点は、核家族化にあると。

そして、お母さんが1人でする育児スタイルが元凶であると。わたしはまさにそのとおりだと思う。男性の育児参加が叫ばれて久しい。もちろん育児は二人でするものと思う。だが、現実はきれいごとだけでは上手くいかないのである。

 

 

奥さんはおちおちトイレにも行っていられないほどの忙しい赤ちゃんとの生活、旦那さんだって、いない時間は遊んでいるわけではなく、上司や部下がいて、いろんなこなすべき仕事、クレーム処理、ノルマなどがあるわけだ。家庭も大事にしたい!という気持ちで自分が定時であがれるようにやっていても、組織である限り他人が原因で残業になったりすることもあるのである。

 

 

もっと早く帰れるはずだったのに・・・と妻に申し訳ない気持ちで帰宅すると、待っているのは、どれだけ日中育児が大変だったかを感情的に報告してくる奥さん、定時で帰ってくるって言ってたじゃん!と責められる。

分かってるし、申し訳ないと思ってるぶん責められてしまうと怒れてきてしまうのは人というもの。

 

 

『俺だって毎日遊んできてるわけじゃないんだよ!こっちは仕事なんだよ!!』

といってしまったが最後。奥さんのなかで『育児を軽く見る最低夫』に成り下がってしまうのである。

 

 

パートナーシップは大切だし、お互いの歩み寄りと思いやりが必要不可欠だ。だが、その前にもっともっと大事なことがある。育児を二人でやること自体が重大な間違いだということだ。生きていくのにお金は必ずいる。じゃあ誰かがその役割を担わなければいけないし、どちらか一方がそうなら、もう一方は育児を担わなければいけない。

旦那さんがパートタイマーかアルバイトかなにかなら話は別である。だが会社でも中堅どころだったり、重要なポストが多い年齢層だろうから、その存在は会社にはかなり重要だと思う。

 

 

仕事は正社員で!給料はもっともらってこい!早く帰ってきて育児をしろ。付き合いは行くな!それは無理難題だ。本当は、付き合いは行くな、ではなく、『わたしを守ってほしい、大事にしてほしい』が本音なのだから、怒りの奥底の本音の気持ちを伝えるべきだと思う。

 

 

もっといえば、夫婦のパートナーシップの問題は、実は夫婦の問題ではない。

夫婦の仲がうまくいかないのは、夫婦でもなく子育ての大変さが原因でないのなら何が原因なのか?

 

 

実はパートナーシップがうまくいかないのは、あなたの親子関係が原因だ。

お父さん、お母さんとどんな関係にあるか?親に対して未消化の感情はないか?

 

 

あんな親にはならない、あんな家庭は作らない!反面教師にしていないだろうか?ちょっとしたことですぐに怒る、頑張っても頑張っても認めてくれない、褒めてくれない、自分をわかってくれない、いつも否定された!お父さんの文句ばかりわたしに言わないで欲しかった!下の兄弟ばかりかわいがって、わたしも同じように愛されたかった!

親なんだから子どもを愛して当たり前でしょ!でもわたしはしてもらえなかった!

 

 

一見、関係ないように見える親子の関係。でも、夫婦関係=親子関係、それは間違いのない事実なのだ。満たされない思いを抱えたまま大人になったわたしたちは、頑張ることでパートナーから愛情がもらえると信じている。頑張って頑張って良い子をしていたら厳しかった親が褒めてくれたように。

 

 

満たされなかった子ども時代の感情が今の感情に複雑に絡みあって、パートナーシップの問題となって現れているということ。ということを知っているとまた旦那さんに対する感情の処理の方法もまたおのずと見えてくるだろう。

生活にいっぱいいっぱいである核家族は、本当に過酷だと思う。その過酷さゆえにお互いへの思いやりがもてなくなってしまう。

もし、近くに頼れる親がいない、預かってもらってリフレッシュする時間がもてないという環境なのであれば、夫婦がお互いに自分の感情処理、感情とうまく付き合える術がないと、破綻するのはごく当たり前のことなのだと思う。

 

 

自分の感情の責任を相手に取ってもらおうとすると夫婦はうまくいかない。

相手がこうしてくれたらわたしは怒らなくてすむのに、はベクトル的には間違いだ。

自分の感情は自分で責任を持って向き合うこと、それは夫婦のどちらも果たすべき責任といえると思う。

 

 

あ、忘れてた。告知しようと思ってたんだった。

(今回のようなこんなこざかしい話はなし笑)

 

 

スーパー地域助産師 今川涼子さんがメインスピーカーです。わたしは日常で使える、イラっとしなくなるワークを紹介します。

 

市民活動団体 SHIPS講座

 『産後も夫婦が仲良くいるために~女性ができる3つのこと~』

2017年 1月26日(木) 詳細はこちら 

 

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一流は、自然体∞戦略的

新幹線代はもちろんなく、電車やバスを乗り継いで京都まで行った。公共交通機関が大の苦手なわたしはとにかくハラハラで、あまり景色を楽しむ余裕がなかったが、それでも大垣を越えたあたりからのキレイな雪景色にすごく心を洗われた。

 

 

普通に考えたらちょっとしたトリップなのだが、朝、こどもたちを保育園に送り出して、夕方迎えにいくまでに帰るという弾丸も弾丸。それでもここ最近は東京やら静岡やら行ったので、自分にもちょっとずつ定着しつつある。

普通電車のゆっくりな移動時間のなかで瞑想し、一流に会う怖さも薄れて、心も落ち着いた!楽しんでいこう!

 

 

待ち合わせはホテルグランヴィアのロビー。もうホテルに一歩足を踏み入れただけで別世界のような高級感!キラキラ光るイルミネーション、廊下には高そうな絵、そして、ロビーのソファの座り心地!座った瞬間、真面目に、

 

w(゜o゜)w!!!!!

 

この顔になった貧乏人。さすがだ。さすが、一流が待ち合わせに選ぶホテルだ。

なんてバカなことばかり考えていた!!例えばこういう場所を意識的に毎回待ち合わせに選ぶようになったらそれが日常になり、それに見合う服装や外見に気を使うようになり、身に着ける小物一つでも、しゃべり方も、雰囲気も変わってくるんだろうなぁ!

環境を無理やり変えろ!という偉人の言葉が納得できる。

 

 

恭祐さんと落ち合い、高層界で日本食をいただいた。なんとも日本食の似合う恭祐さん。上品すぎて、こちらが恥ずかしい。だが今日はそんなことは気にしないと決めた。

恥ずかしいと思ったところで、自分のレベルは変わらない。どんなに恥らってもどうせ自分は自分なのだ。

 

 

恭祐さんと会う前に、【一流の人ノート】なるものを作った。2017年は一流の人に会って、その人たちの思想や行動、自分の気づきを書き留めるノートだ。

きっと自分は実際に会ったら緊張して頭が真っ白になって聞きたいことを忘れてしまうに違いないと思い、そのノートに聞きたいことをまとめておいたので、順番に聞いていくことにした。

 

 

なぜ、一流は【即断即決】なのか!?不正解だったらどうしようと考えたことはないのか?即断して、もっと考えてからにすればよかったと後悔したことはないのか?

という問いに対し、

 

 

正解か不正解か、という尺度ではなく、正解か不正解じゃないかを知るための【行動することを即決める】ということ。やってみてもちろん、軽率すぎたな、とか、もう少しこうすればよかったなとかはたくさんありますよ。try & error を超高速で繰り返し、そして超高速で経験値を上げる、そうしていくなかで、正解不正解がすぐに判断できるようになる。

 

 

そういうことらしい!ついつい、決断するとき、自分たちは正解を選びたがる。そして、不正解だったらどんなリスクがあるんだろうと不安でなかなか決断できない。

でもそうではなく、一流はやってみたら正解か不正解かわかるじゃない、そして何が足りないか、どうしたらよかったかが分かる。頭でごちゃごちゃ考えるより、やってみたら答えがすぐわかるじゃない。ということらしい。

 

 

要は失敗を恐れないということだ。恭祐さんと話していて思ったのは、陰陽五行や仏教の考えに精通しているからか、善悪とか、正誤などの概念は飛び越えているんだと思う。失敗=悪いことなんていう浅はかな概念はまったくないんだろうと思う。とにかく視点が広く、何事もジャッジメントなしの、わたしの大好きな考え方をする方で、さらに好きになった!他にも図々しくも自分の悩みなども聞いていただいてしまったが、優しく応えてくださった。

 

 

ふわふわしている感じなのに、ものすごい戦略家、そして極めるのが好きな人。優しいのにものすごく芯がある、若き成功者だった!そして、そのご縁も超一流。どうしてそんなすごい人が!?という人から、売り込まなくても向こうからオファーが来る。

とにかく一流から愛される方。

特別扱いされる理由がすべてわかったとはおこがましくて言えないが,

常人離れしているというか、【神の子感】がすごかった。

 

 

鼻息あらく自分を売り込むレベルの低いわたし。でも、こうして一流を学べる機会を、自分で作ることを決断し行動した!そして一流といわれる人とこうして一緒の時間を過ごすことができた。

海のなかでも、浅瀬の生き物と深海魚が間違っても一生出逢うことがないように、人間界(?)でも縁がない世界には触れることもできないようになっているのだと思う。

 

 

今の自分を見ると、悲観的になるような現実ばかりだが、こうした方たちに出会えていることもまた現実だ。こうして心折れないように自分を盛り上げ、低迷しているときこそ、見たくない自分のダメな部分の克服など、着実に自分の課題をこなしていくことが大事なのかもしれない。

 

 

とはいえ、自己価値感はそうとう自分のなかでうなぎのぼりになってきているここ最近。

まだつい卑屈な考えが頭に浮かぶことはあるが、こうして行動することで、少しずつ自信をつけている。とりあえず自分のコンフォートゾーンの外に一歩踏み出したことに自分で自分をほめてあげよう。

 

 

恭祐さんと話していたら時間があっという間にすぎ、すぐに帰らなければいけない時間になった。電車は間違えずに乗れたが、どうしても保育園のお迎えに間に合わないし、

乗り継ぎがしんどい。ということで、一流の雰囲気を引きずって、一宮駅からタクシー帰宅した。お金を使って楽をする。我慢すればどうにかなるところにお金を使うと、とても幸せな気分になる!そして、運転手さんにもお金さんにも感謝が湧いてくる。

そして絶対、今日の行動を特別ではなく日常にする。

あたらめて決意するのだった!

 

 

わたしの超エゴ企画『一流に会いにいく2017』

記念すべきお1人めはウェビナープロデューサーの桑原恭祐さん。ほんっとーになにもかもがスマートで、素敵で聡明な方だった。聞き上手で、逆にワタシが聞いてもらってしまったとこもあったかもしれませんが、たくさんの上質なヒントと気付きを本当にありがとうございました。

 

 

今週の一流は、放送作家の安達元一さんと、フォレスト出版編集長の長倉顕太さん。

これは恭祐さんのように個人的にではないが、お二人のイベント、名古屋での【奴隷解放会議2017】に参加、そして、懇親会に行くというものだ。

時間とお金が許す限り(作る努力は惜しまないように努力)とりあえずピンときた一流のイベントに参加していこうと思う。

一流に会いに行く~そうだ、京都へ行こう~

本や動画で会ってばかりではなく、ちゃんと時間とお金とエネルギーを使って、一流と言われる人に会いにいってみよう。

直接、どんな考え方するのか、雰囲気や仕草などはどんななのかを知るために、食事に誘ってみよう。

 

 

ということで、一流と聞いて一番に思い浮かぶ知り合い、ハワイの奇跡の旅で一緒だった桑原恭祐さんにオファーを出してみることにした。恭祐さんは、弱冠26歳にして、ハワイと日本のデュアルライフを楽しんでいる一流のクライアントをたくさんもつコンサルタントだ。

 

 

恥ずかしい。こんなニート同然の現状の私が、一流のコンサルタントに食事に行きましょうなんて!会ってくださいなんて、そんな人の時間を使ってもらっていいのだろうか?

ああ怖い怖い怖い怖い!とかなり迷いに迷った。

 

 

いや、でもここは成功者なら即決断!迷っている時点で不正解!と一刀両断だ。とにかく聞いてみよう。聞いてみることだけすればいいんだ。その先までごちゃごちゃ考えるから聞けないんだ!

 

 

ということで、恭祐さんにメールをしてみた。一流に会いに行くという私の夢を叶えてくださいませんか、と。

 

 

すると、明日、明後日ゆとりがありますよ~喜んでお受けいたします♪と!!!!!!

 

 

さすがだ。即レス。しかもすぐYES。

ま、間違いない、このお方は一流だ!だって一流は即レス、即YESが習慣なのだ!そう本に書いてあった!(失礼笑)

 

 

ということで、成功者は距離関係なくすぐに行く!という行動をわたしも真似て、わたし京都へ行きます!といい、京都駅で待ち合わせすることになった。そして今、京都へいく電車のなかでこれを書いている。

 

 

一流にこれから会うんだ、と思うと意外にもいろんな感情がぐるぐる出てきた。

何を聞こう、またハワイで、日本のトップの美容家の前でそうなったように、すごい人を目の前にしたら頭が真っ白になってしまうんじゃないか、また泣いてしまうのではないか、悪気なく変なこといったり、空気読めなくて失礼にあたることをして怒らせやしないだろうか。

会って損したと思われるかもしれない、軽蔑されるかもしれない。

 

 

怖くてしょうがなくなった。

 

 

人間関係のブロックはここ最近かなり一生懸命はずしているが、30余年のパターンはなかなか消えない。

バスや電車のなかでまたひたすら手放す。そんなことをしているので長距離移動はまったく苦にならない。

 

 

わたしはきっと無意識に人を自分より上か下かを判断し、上と判断した人には必要以上に自分を圧し殺す癖があり、それとバランスをとるように、下と判断した人には偉そうに振る舞う癖がある。

そうしたいわけではなく、自然にそうする癖が小さい頃からついていた。

 

 

そんなことを考えている間に、小学生のときの出来事を思い出した。みんなに『汚い、近寄るな』と菌扱いされて、いじめられていた女の子がいた。その子はいつも仲間はずれにされて誰もしゃべってくれないようだった。

 

 

ある日、トイレでたまたま一緒になったので、『おはよう』と話しかけたら自分に話しかけてくれたのがよほど嬉しかったらしく、それから『わたしたち友達だよね』といわんばかりに、学校で一緒に行動しようとしてきたのだ。

そして休日には、学年でもう一人『菌扱い』されている女の子と二人で、嬉々と家に遊びにきたのだ。

 

 

失礼だがやはりあまり清潔感のない2人とつるんでいる、それを学校のクラスメイトなどに見られて、自分も仲間だと思われたのがすごく嫌で、『あなたたちといるのは恥ずかしいから、二度と話しかけてこないで!!』とその二人に怒ったことがある。

 

 

必要以上に上にへりくだるということは、同時に必要以上に下を嫌っていること。自分が下を嫌っているから、自分も上から嫌われるんじゃないかという不安が付きまとうのかもしれない、と思った。

 

 

オシャレとか、可愛いとか、人気があるなどの友達といる自分はすごく誇らしくて、そうでない人は、一緒にいるのも恥ずかしいから嫌、そんな極端な考え方をよくしていた。

自分もそう見られていると無意識に思うからこそ、一流に会いに行こうとしたときに、とにかく逃げ出したい気持ちになるのかもしれない。

 

 

そんなこんなで、2017年は人間関係の正常化をする。

苦手分野を克服するのは怖いが、そう決めたので、やるしかない。

たくさんの思い込みを外し、成功者への土台作りをしっかりしたい!

 

 

もうすぐ京都だ!行ってきまーす\(^o^)/

知識を行動に変換する

人は使ったエネルギーの分だけ収入が入ってくるといわれている。

だから成功者はどんなにとんでもない距離でも、行こうと思った瞬間に決断し、実際にすぐ行ってしまう。相手に対して誠心誠意出し尽くすこと+移動距離の多さ=収入になる!だからエネルギーは全出ししなさい!

 

 

はい、知ってます。何度も聞きました。どの本や成功者も同じことを言っている。

はいこれ成功者の常識ね。そう、【知っている】のだ。

そして紛れもなくこれはわたしが【知っている】けど、【やっていないこと】だ。

 

 

こうして、2016年にせっせと仕入れた知識や成功者の法則で知っているけどやっていないことがたくさんある、と気づいた。気づかされてしまった。

最近は人とたくさん会うより自分と向き合う時間のほうがメインだったので、いつものように本を読んだり、一流といわれる人のブログや動画を毎日見たり・・・そんな毎日を送っていると、不思議と自分にも成功者の思考が定着してくる。

 

 

だが、ある日、また一流と呼ばれる人の動画を見ていたら、付き合う人を変えろ、成功している人とだけ過ごせ、環境を無理やり変えろ、過去の延長線上でいつまでも無駄な

努力するな、というメッセージを見た。すごい人に囲まれて仕事しろ、すごい人とだけ付き合うようにしろ、と。

うん、知ってる。わたし知ってる。だから付き合う人は選んでるし、自分の足を引っ張る(無意識にでも)人には会ってない。うん、知ってる。

 

 

・・・ちょっと待って。付き合う人は選んでる・・・だから、いつも決まった人としか会ってないし、それ以外は1人でいる・・・これって本当にいいのか?ただ、自分の心地が良くない人と会ってないだけで、すごい人には動画と本でご対面するだけ。

これって本当にやってるといえるか?本やネットで知識を詰め込んでスゴイ人の思想には触れているけど、実際には家で引きこもっているだけ。

 

 

・・・やばい。わたし・・・全然ダメやん!!!!

 

 

でも、すごい人って、誰と会えばいいの!?すごい人とだけ過ごすって、そのすごい人とどうしたら一緒の時間を過ごせるの!?

 

 

いきなり自分の知ったかぶりの酷さに、雷にでも打たれたかのようにショックを受けた引きこもり。

 

 

行動・・・か。いっちょやってみようじゃないか。

 

 

実は、年末に量子の奇跡を体験した熱海旅のあと、年始には東京へ行った。もちろん新幹線など乗れないので、ライドシェアで見つけたドライバーさんに相乗りをお願いし、2,500円で東京まで乗せていって頂いた。

目的はあるお店の視察だったのだが、成功者がそうしているように【行きたいと思った場所には遠くてもすぐに行く】を自分もやってみたかったという気持ちが半分だった。

 

 

ドライバーさんは東京で不動産のお仕事をされている方で、中学生のときからデール・カーネギーなどの啓発書をたくさん読んでいたと言われる、27歳とは思えないほどの聡明で見識の広い、落ち着いた男性だった。

もう1人の相乗り者は28歳アイドルオタク女子。名古屋のアイドルのおっかけをやっていて、茨城から名古屋まで毎週きているという子だった。この子も可愛いのにあなどれない。男性でも適わないほどの超ロジカル思考&分析家、東京の優秀なビジネスマンにどんな話題を振られても対等か、ときどきそれ以上に渡りあう。2,500円でこうした素晴らしい人たちと出逢えて、じっくり話ができるのだからこんないい事はない。

 

 

そして、そんな二人に囲まれた発達障害なわたしは、休憩したSAで財布をトイレに置き忘れて置き引きに遭うという、なんともまたバカなことをしでかした!パニック気味になっているわたしを頭のいい二人が淡々と対処してくれる。・・・ここにきて、なんて失態だ!

一文無しで東京に着くという、また過酷な状況を自分で作り出す!ドMにもほどがあるだろ!(幸いにもカード類は別にしてあった。預金はないがクレカがあった)

 

 

そして財布もない、お店の視察以外は何も分からないわたしを見かねたオタク女子が、お店の視察に一緒についてきてくれ、地下鉄も一緒に乗って、安いのにグレードの高い、一番コスパの良い夜行バスの手配までしてくれ、ついにはバス乗り場でちゃんとバスに乗る瞬間までメールで逐一、教えてくれたのだ。

 

 

話がそれてしまったが、こうした年始の東京事件は、一見なにやってんだと思われそうだが、またまた私は学ぶことがあった!

人は行きたいと思ったらどこへでもすぐに行けること。距離は関係ない。

物理的な距離を言い訳に、自分が行けないと思っているだけだということだ。

 

 

行ってどうする?行って何も収穫なかったら?地下鉄で迷ったら?夜行バスもどこで乗ればいいの?手配はどうやってするの?取れなかったら?とわからないことだらけでも、意外と行ってみると、自然と助けてくれる人に出会うこと。

 

 

そして、行動力は、自分に自信をつけてくれる。行動=自分との約束を果たすことに他ならないと感じたのだ。自分を行きたいところに連れていってあげる、自分会いたい人に会わせてあげる、見たいものを見せてあげる。これこそが自分を大事にするということだ。自分を信頼する、とはそういうことの積み重ねの結果なのだと思った。

自分なら必ずやってくれる、自分を喜ばせてくれる。インナーセルフとの信頼関係度が、ビジネスの成功にも大いに関わっているのだとも思う。

 

 

ということで、徐々に知識を行動に変えていこうと決意したわたしだが、

次は、【一流といわれる人に会う】というミッションを自分に下したのである!!

周りに生かされる

もう何ヶ月自分の仕事の収入がないだろうか。

離婚してからこんな状況が続いている。いつ、テレビやドキュメンタリーでやっているような、【シングルマザーの貧困】がわたしたち家族に訪れるのだろう、と最初のころはビクビクしていた。

 

だが、食べるものもなく、電気も水も止められ・・・のような絵に描いたような貧困は、今のところわたしたちに訪れてはいない。現金収入はない。もちろん、ありがたい手当てなどの恩恵は受けさせてもらっているが。

 

もしかしたら、貧困だ貧困だと言っているどこの家庭よりも、今のうちはお金がない。

だけど、お金がないとはあまり思っていない。もしろ内面だけはどんどんお金持ちマインドをはぐくんでいるもんだから、現実と妄想のギャップが天と地の差になっている。

妄想も毎日していれば、潜在意識に焼きつくのだろうか?お金ある風に振舞ったり、

ないけどあるときと同じような生活(普通に考えたらろくでなしすぎるけど)をすることで、「自分は豊かだ」と感じることができる。

 

貧困は金銭的な問題ではなく、実は精神的な問題。こんな極貧のなか(現実的には)

自分はお金があって豊かな生活ができているというすごい錯覚なんだけども、その幸せな錯覚ができているおかげで、今日もピンピン笑顔いっぱいな自分がいるるから、

本当にそう実感するのである。

 

これまで何度か、もうあと1日でお金がなくなる・・・という日にかならず、『明日、口座に○○の返戻金振り込みますね』という電話がきたり、家族から『お金いるときは頼っておいで』というメールをもらったり、親から『お金なかったら言っておいで』と言ってくれたりと、もう何度も自分は奇跡を体験している。

そして、こんなお金のない日々でも、やりたい!行きたい!となったことについては、臨時収入が入ったり、見知らぬ人から交通費がもらえたり・・・

なんだ、この【ワタシ、生かされてます感】は!?と我ながらびっくりしている。

 

これが、よく言う、『使命に近づいているときは神様の応援が入る』ということなのだろうか。

すごく乱雑な言い方になってしまうかもしれないが、『不幸になろうと思っても不幸にさせてもらえない状態』かもしれない。

本当の自分で毎日をワクワク過ごし、使命感を持って世のために仕事をすると思っている、100%自分の人生を生きている人は、どうしたってどこかから応援が入るのかもしれない。本で読んだりしてそういう知識はたくさんあったけど、まさか本当に自分の身に起こるなんて思ってもいなかったので最初は半信半疑だったが、今ではもう確信に変わっている。

 

もっとも、わたしはまだ使命感だけは人一倍あるが、まだ世の中に自分を役立てる方法が自分はこれだ!ってものがなかなか見つからずくすぶっていはいるが、着々とそこに向かっているよ、というサインなんだろうか、こうしてありがたいことに、あらゆる人に生かされて、助けられて、わたしたち3人は今日も笑顔いっぱいだ。

 

最近、訓練していることがある。人の気持ちを察することだ。相手が何をしてあげたら喜ぶだろうか。と、常に観察し続けることだ。

他人の気持ちを理解することができないといわれているアスペルガーには、結構な課題だ。相手が何をしてあげたら喜ぶか、とか、どういってもらえたら気が楽になるだろうか、とか、相手はどういう気持ちでこれを言っているのかなとか、わからないなりにアンテナを張りながら人に接するようにしている。

 

30年も、親や家庭への怒りに支配され、いつも悪いことは他人のせいにして生きてきたわたしは、どうしたら周りといい人間関係を築けるかなんて正直考えたことがなかった。未だに人になじめず、浮いてしまうことが多いと感じて悩んでいたが、30余年にわたって潜在的にいつも誰かと闘おうとしてきたのだから、うまくできなくて当たり前だ。ここは是非、まだ何もわからない赤ちゃんのような心で、人間関係を1から訓練してみる努力をしてみよう。

引きこもるだけ引きこもり、瞑想した結果、そう思えるようになった。そして、わたしは人から嫌われるんじゃないかという莫大な不安は、人から愛や助けを貰おうとしてばかりだった姿勢に原因があるのではないかと気づくようになった。

 

与える人の周りにはいつもたくさん人がいる。

相手が欲しているもの(愛情、言葉、モノ)を贈っていれば、嫌われることのほうが難しい。人の気持ちが推し量れない発達障害にどこまでできるかわからないが、今の自分の最大の課題に、一生懸命取り組もうとしている。

 

『知っている』と『やっている』は本当に違うなぁと実感するこのごろ。

たくさんの本を読んだりすると、本当はただ『知っているだけ』なのに、なんだか自分はやっているという錯覚に陥る。

 

さぁ、今年は! 【知っている】から【行動する、やる】へ。

 

土台づくりは結構やった!今年はおひつじ座らしく暴れるぞ!おりゃー!

 

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やりたくないことをやらない強さ

やりたくないことはやらない、というと、どんなに我儘で傲慢な人間だと思われるかもしれない。正確にいうと、わたしの場合はやらないというより、できないのだ。

これもまた、我慢が足りないとか怠けてるだけだという声が飛んでくるのだろうが、わたしの場合、やりたくないことを我慢してやっていると、体調が本当に悪くなるのだ。

 

 

2016年の2月あたりまでは、生活のためにマッサージの仕事をやっていた。ところが、もうそのときはすでに開業準備のために空き時間にはとにかく勉強をしていたし、

代替医療のほうの勉強が楽しすぎて、マッサージの指名なんて1つも入らなければいいのにと思っていた。朝から2時間コースなど指名が入っていようもんならどんよりした気分になり、終止やりたいことができない2時間、イライラして、早く時間が過ぎないかな、と思っていた。

 

 

とにかく自分のやりたいことができないことが本当に嫌で嫌でしょうがなかった。

もうそのときはすでにマッサージでは根本解決にならないと確信していたので、(もちろん根本解決じゃないから不必要ってわけではないけどね。そのときはまだ考えが若かった!)

シフトの関係で最後のほうはお願いされて、責任として出勤していたが、ついには10円はげができてしまうほどだった。興味のないことはできないし、今やりたいことがすべて。猪突猛進のわたしには、生活のためとか、こどものため、とか、自己犠牲を伴うやりたくないことに時間を使うくらいなら死んだほうがマシだと本気で思う。

 

 

やりたくないことを断ることは、自分を大切にする尊い行為だと思っている。ただしその代わり、かなりの勇気も必要だ。人は、YESのほうが楽だからである。

徹底して自分の意に沿わないことにNOを貫くことは、周りとの軋轢を生む。そして、嫌われる。見ている人(不自由な生き方をしている人)を不快にさせることもあるからだ。

 

 

そんなんじゃうまくやっていけないよ、考えを改めるべきだ、我儘放題だとダメになるよ、子どもがいるんだから、子どもが可哀相、大人になりきれてない、など、批判は必ずくる。大体、そういうことを言ってくる人のなかに、わたしほど自分と向き合った人はいない。批判はいつも外野がしてくる。ある程度のストレスはあっても、ちょっと愚痴れば過ぎていくようなぬくぬくと温室で生活しているからこそ、自分の生き方について真剣に考えることがないんだろう。自分の偏った考えに他人をあてはめ、自分も不自由なんだから、お前も不自由でいろよ的なプレッシャーをかけてくる。

 

 

やりたくないことでも我慢してやることを強要されると、またそこで持ち前の反抗的態度がむくむくと顔を出す。「やりたくないことだって皆やって生きてる」的なことを言われると、しらねーよ!断るのが怖くて、皆が好きでそれやってんでしょーよ!となる。だって、断って相手が嫌な顔するかも、とか、人間関係悪くするかもと怖くなって自分の気持ちを見ない振りして【自分で我慢を選択して】やってるんだから、わたしには関係ないはずで。人は何時でも自分で選択しているのだから。

 

 

徹底的な自分軸はときに周囲との軋轢を生むが、わたしはもうこの生き方をやめるつもりはない。本来の自分を生きてる充足感を感じることができているし、今はうまくいっていないようにみえても、着実に幸運期に入っていっている感覚もある。

なんでもそうだが、まずは常識を疑うことが大事だと思う。

【常識とは、18歳までに身に着けた偏見のコレクションである】有名なアインシュタインの言葉。

 

 

親も家族も、パートナーも、友人も、仕事仲間も・・・

そのひとの常識で自分を裁いてくるときがあるかもしれない。でもそれは、間違いなくその人の体験をもとにした教訓を常識としているわけで。その人の体験である限り、その教訓は、その人にかあてはまらないし役に立たない。だって自分はその人ではないから。

 

 

常識は偏見だ。常識なんてものは実は実体がないのかもしれない。

これをしっかりと理解し、自分は誰にも惑わされない、と覚悟を決めた瞬間から、人生の可能性が開けていくのだと思う。

常識を超えていけ

ここ2ヶ月は収入が2,3ヶ月は収入が0だ。とはいえ、目に見える形での利益がないだけであって、日々何もしていないわけではない。

わたしのことを知っている仲間は、このわたしの状況をいつもいつもポジティブにとらえ、それでも頑固を突き通すわたしを温かく笑ってくれ、私を精神的にとても助けてくれている。

 

 

あんなにお金がないと思っていた親からも借してもらえることになり、なんだかんだ文句をいいながらそれでも助けてもらえるこの状況に深い感謝をしている。

今まで生きてきた30年余りは、人に感謝をするという感覚がとても薄かった。親に感謝すべきなんていわれようもんなら、般若のような顔をしていた。

それだけ、自分の人生を親や家庭環境のせいにしていたし、心を壊すほど、自分一人で何でも解決する必死の努力をしていた。わたしは誰よりも努力して、人に迷惑をかけないように、負担をかけないようにと顔色をつねに伺って生きていたからこそ、人の力を借りることもなく、周りの優しさの恩恵を受ける機会が少なかったということだ。

 

 

それが、いつもいうがやはりダメ人間になる努力と覚悟をしたときから、周りへの感謝があふれ出てくるようになった。金銭的に人にお世話になってるなんて以前の真面目な「迷惑かけられない自分」が知ったら泡を吹いて失神するだろう。普通は人としてどうなんだといわれそうなこの状況で、それでも「人の温かさ、家族の愛情」を心の底から感じることができる自分は、幸せなのだと思う。完璧人間に誇りを持っていたころの孤独感は今はまったくなく、自分は独りではないということを感じられる穏やかさがある。

 

 

さて、最近の自分のテーマは、やはり自分の使命や天職についてと、お金に関しての常識を疑う、ということだ。お金を得るには、普通の人はたいてい「自分の労働力で得られるもの」と思っていると思う。そして、それ以外で得たお金を何か汚いもののように扱う。パチンコなどのギャンブル、株式投資不労所得、他者からもらうお金、などなど。そしてお金持ちの煌びやかな生活に嫌悪感を感じたりする。

お金に苦労していたり、もっとお金があったらなぁ・・・と常に思っているにも関わらず、実働以外で得るお金に対して、自ら毛嫌いして遠ざけるのである。

 

 

こうした親からのお金に対する刷り込みは、どこかで気づいて変えない限り、一生そのままであり、お金はとくに想念が一番のる分野でもあるため、悪いイメージを持っている限り、一生お金に苦労して不安の付きまとう人生になる。

また、収入が多い少ないは、「自己否定の多い少ない」とまったく比例していることを知り、やはり起業するからにはそれで自立したいので、自己否定の根源を徹底的に探ることにかなりの時間を費やしたと思う。

 

 

わたしは起業するときに、徹底的にお金に対する思い込みも見直した。シングルマザーが起業するには、やはり子どもの生活も掛かっているので、十分すぎるくらいの自分の思考の見直しが必要と感じたからである。周りが遊んでいる間、テレビを見ている間も自分は少しでも時間があれば「自分」というもの「お金」というものについて整えた。

 

 

その甲斐あってかこの誰もがうろたえそうな危機的状況でも、自分はだいじょうぶであることに自信がもて、毎日子どもたちと笑って過ごせるのである。それもこれも、「お金」とはそもそも何なのか、お金の法則などを勉強したから。

どん底は、自分がどん底だと思わなければどん底ではない。

「わたしがこの状況だったら、うつになってるわ!」と叫んだ母親の意見は、世間一般の声だと思う。

 

 

だけど恐怖と不安は、「わからないこと、知らないこと」が原因である。日本人は自分たちの毎日使っているお金に対する勉強をする機会が少ないといわれている。

まさにそれは致命的とも私は思う。人生で命と健康に並ぶほど大切なお金について、

ほとんどの人が学んでいないのだ。健康に関してもそうだ。人間の健康について、人体機能の精密さ、病気のメカニズム、そして、自分の使命や存在している意味、人生での役割について、何も知らずに生きている人は多い。

 

 

人は「幸せになりたい」とよく言うが、そもそもどういう生き方が幸せなのか、自分という存在を知り、自分という人間をどう使いこなして、どう社会に役立てていくのか、徹底的に知ろうとする人は少ない。逆に言えば、これを徹底的に明らめて自分を上手に使いこなせている人が、たくさんの社会貢献をし、それに見合った収入を得ているのだと思う。自分という人間を知って自分を大切に生き、正しい使い方を知らない限り、幸せになんてなれないということだ。

 

 

そういうことを考える機会がなかった人は、生活するには困らないお金と、安定した職業と、休日にできるちょっとした趣味と、で一生を終えていくのかもしれない。

そういう生き方を、自分もできるものならそのほうがいいのかもしれない。

けれど、徹底的に自分というものを洗い出した結果、自分は到底それをできるような資質ではない、ということが判明してきたのだ。

 

 

自分を表す単語しては、常識破り、開拓者、NO1、危険、冒険、勝負、リスク、世界、自由、情熱、爆発力、などなど。

安定や保障という言葉にまったく魅力を感じない理由がわかった。

 

 

人には適材適所がある。こうして日々自分とは何者か、自分が社会で最大限人の役に立つには?と考えていった結果、どうしてわたしが正社員や型にはまった生き方は、死んだも同然な気持ちになるか、すごく府に落ちた。

 

 

好きなことをやっている限り人は死なない。

人になんと言われようが、自分は自分にしか生きられない。他人の目にオカシイやつと映ったとしても。

 

 

これが自分だ!と言える生き方は、ときに常識破りだ。常識破りなほど貧乏生活になる可能性もあるわけだが、そこはやはり、自分と家族と、世の中のためにも、いい方向にエネルギーを使って生きたいと思う。