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発達障害シングルマザーが起業した

発達障害のシングルマザーが起業、子育ての迷走、奮闘を綴っていきます。

発達障害の子を持つ親の務め

 わたしの脳のなかは、意識という空間に、バラバラの単語が無数にフワフワ浮いている。そのバラバラの単語を口に出す1秒の瞬間にくっつけて文章にするのである。
 
 
だから、瞬間的に間違った単語をチョイスしてしまって言いたいことがまとまらなかったり、自分の言いたいことが伝わらなかったり、バカ正直にストレートな言葉が出たりして、誤解されたりするのだ。


  
普通のひとは一旦口に出す前に考える?のかもしれないが、わたしたちの脳は違う。
単語を選ぶのと口に出すのがほぼ同時なのだ。だから、わたしたちは文章を書くことがが得意だ。
単語を間違えても、時間がある限り、何度でも書き直せるからである。
自分がなにを言いたいのかわからない、口で説明するのは下手でも、時間をかけて文章にして書いてみると、同一人物かと疑われるくらい、秀逸な文章を作ったりすることもある。

 

 普通のひとは、時間の流れというものを少し客観的にみることができ、過去、今、とのつながりで、未来が予測することができるらしい。

 

 

それにくらべて発達障害は(障害ではないけど、わたしはあえてその言葉を使う)、
時間という流れのど真ん中にいるのだ。だから、過去も、未来もない。ただただ、「今」という時間の流れのど真ん中に立っている。

 

発達障害の子どもやパートナーを持つ家族は、これを知っておくだけでも、かなり楽になるのではないかと思う。普通の人が、どう考えてもそれはこうなるだろ!と突っ込みたくなることでも、本人にはまったくそれがわからないのである。

 

発達障害者の才能は、常人かけ離れた優れた五感、記憶力、行動力、発想力、好きなことを楽しむ力と集中力なのだ。そう、「今」という瞬間をとんでもなく楽しむ天才なのだ。普通の人は、「こうしたら、こうなる」の学習ができる。でも、頭がいいがゆえに未来の不安ばかりに目がいって、「今」を楽しむことが格段にヘタクソなのだ。

だから、普通のひとはたいてい、発達障害者の今を楽しむ才能に、そんなふうだとこうなっちゃう!という自分の不安や心配を投影して、一生懸命やめさせようとするのだ。

 

 

だがそれをされると、途端に発達障害の才能がつぶれていく。

発達障害のひとが、自分らしく才能を発揮するためには、その危なっかしさを、周りが信頼して見守っていられるかどうかだけなのだ。


 

多くのひとは、愛情がゆえに心配して発達障害者の突発的な行動をやめさせたり、世間的な目を気にして、できないところをできるように矯正する。

 

周りのその行動こそが自分はダメなんだと深く傷ついて、うつなどの2次障害を引き起こしたり、ひきこもり、自分らしさがわからなくなって苦しい生き方になってしまう、発達障害者の悲劇なのだ。 


 


 

 人は、自分の作った狭い枠の世界にあてはめてしか、相手のことも理解できない。
周りの人は、発達障害者の楽しむ才能を阻害してしまったり、また感覚優位のため、すぐに涙が出たり、感情的になる理由がわからないと思う。
 

 

大事なことをいう。

こういう子を持つ親は、自分の枠がいかに狭いかに気づくことが先決だ。
(そして、もっと大事なことは、子の問題(に見える)行動は、親の在り方へのサインだと気づくこと) 


それを理解しないまま、親がよかれと思って何かを教え込もうとしたり、能力を矯正しようとすると、逆効果だ。それは、本人からしたら、「あなたはダメなのよ」といわれているのと等しいからである。できないことを必死にできるようにさせてはいけない。



親が口先や表面だけで、無理に障害は個性だ!なんて自分に言い聞かせるように、葛藤に蓋をしていても、こういう子は非常に敏感なので、本当は親が自分をどういう目でみているかなんていとも簡単に見抜く。

  

教え込む、矯正する=親は自分を不憫に思っている。自分は親を悲しませる悪い子だ
となることの方が圧倒的に多い。

 

 では、どうしたらいいのか?

 

端的にいうと『親の狭い枠をとっぱらうこと』だ。

 

発達障害者は「天才」なのだ。親が想像もつかないくらいの才能を持っている。発達障害者の親は、その誰よりも強い魂を持った天才を育てる役目を負った選ばれし者であり、それゆえに、自分自身の度量を大きくするために、親も自分自身と向き合う必要がある。

 

 発達障害者は常人の固定概念の外に存在する。
その子が偉業を成し遂げるか、それとも社会のお荷物だと思いこむ人生を送るのか、それはどれだけ親が自分の固定概念の枠を広げられかにかかっているのである。