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発達障害シングルマザーが起業した

発達障害のシングルマザーが起業、子育ての迷走、奮闘を綴っていきます。

ひきこもりの自助会に参加してみた

昨日は一宮市の市民活動センターでひきこもりの人の自助会に参加してきた。

なぜ、ひきこもりの会に?と疑問に思われるかもしれないが、自分でもよくわからない。単純に日本の社会システムに合わせることができずにひきこもってしまった人の気持ちを理解してみたい、知ってみたい、という理由からだった。

 

 

この会の内容は他言してはならないので、内容などはかけないが、参加者さんのかたがたの話は、本当に興味深かった。

 

 

自立して自分で生計をたてなければ、大人として認めてもらえない風潮のある日本。

こうして病気を抱えながらもよりよくあろうとしているひとたちが、受け入れられる社会になるといいなと感じたし、それのために、自分ができることはなにかないかなと、最近は常に考えている。

 

 

いってみれば、わたしもうつ病と、対人恐怖症をわずらった一人である。みんなの幻覚や妄想の話を聞いて、わかるわかる、とうなづけた。

だがもしわたしと同じ、病気とはいえ深い深いトラウマによる症状なのだとしたら、治る道はただひとつ。どんな自分にもOKを出し、自分が自分を好きになるだけだと思う。

 

 

わたしも、かつては自分はすべての人にきらわれている。わたしは存在しているだけで人に迷惑をかけているから、この世からいなくなるべき、と真剣に思っていた。

病気を克服して一番得たことは、「人にきらわれていたのではなく、自分が自分を超絶きらっていただけ」という答えだ。

 

 

薬や病院にお世話になることは必要だ。だけど長い人生だ。一生付き合っていくしかないと言われているだろう病気と、実は思っているよりはるかに簡単におさらばすることができるのだから、真剣に治すことを考えてもいいのではないか、と個人的には思ってしまう。(深層では病気でいたいひともいるので、一概にはいえないが)

 

 

2時間、会に参加して思ったことは

「健常者とか障害者とか、そんなので括る必要はない、ただの一人の人間なんだなぁ」ということ。

 

 

そして、わたしも含めて、たまたま脳の仕組みが、日本の画一的な教育に合わなかった、親の「わたしができなかったことを子どもに託す」的な過度なプレッシャーや期待にこたえることができなかった経験を繰り返し、

たたくさんの傷やトラウマを抱えることになってこころの病気になってしまっただけなのだ。

 

 

こどもは親の所有物じゃないし、あきらめた夢を親の代わりに叶えるものじゃない。

自分の考えも、感情も、こころも持った、一人の人間だ。自分の分身だなんて、間違っても思ってはいけない。

 

 

こどもがこころの病気になって、こどもを責めたり、認めたがらない親もいるが、どんなこころの問題も根底には母親もしくは父親との関係がある。こどもを責めるまえに、まず、どんな子育てをしてきただろうか?と振り返り、そこまで追い詰めた自分を省みろ、と思う。

 

 

こころが弱いから病気になるのではない。人一倍やさしく、みんなが笑ってくれるのならと我慢に我慢を重ねてしまう、非常に強いこころと魂の持ち主だ。

 

 

克服したわたしから何かいえることがあるとしたら、「自分は精神障害者とか、病気だから、と枠にはめることなく、まずは自分が自分のことを、一人の人間として認めてあげてほしい。弱いのではない。強いからこそ、この経験をしているんだ。そして、この苦しみや経験はかならず宝になるから、ぜひ乗り越えてほしい」ということ。

 

 

こころの病気をする人は、じつは自分でも信じられない底力を持っている。

 

 

【自分はきっと想像以上】だ。秘めたままのとてつもない底力をみせてほしいと、他人ながら願っている。