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発達障害シングルマザーが起業した

発達障害のシングルマザーが起業、子育ての迷走、奮闘を綴っていきます。

常識を超えていけ

ここ2ヶ月は収入が2,3ヶ月は収入が0だ。とはいえ、目に見える形での利益がないだけであって、日々何もしていないわけではない。

わたしのことを知っている仲間は、このわたしの状況をいつもいつもポジティブにとらえ、それでも頑固を突き通すわたしを温かく笑ってくれ、私を精神的にとても助けてくれている。

 

 

あんなにお金がないと思っていた親からも借してもらえることになり、なんだかんだ文句をいいながらそれでも助けてもらえるこの状況に深い感謝をしている。

今まで生きてきた30年余りは、人に感謝をするという感覚がとても薄かった。親に感謝すべきなんていわれようもんなら、般若のような顔をしていた。

それだけ、自分の人生を親や家庭環境のせいにしていたし、心を壊すほど、自分一人で何でも解決する必死の努力をしていた。わたしは誰よりも努力して、人に迷惑をかけないように、負担をかけないようにと顔色をつねに伺って生きていたからこそ、人の力を借りることもなく、周りの優しさの恩恵を受ける機会が少なかったということだ。

 

 

それが、いつもいうがやはりダメ人間になる努力と覚悟をしたときから、周りへの感謝があふれ出てくるようになった。金銭的に人にお世話になってるなんて以前の真面目な「迷惑かけられない自分」が知ったら泡を吹いて失神するだろう。普通は人としてどうなんだといわれそうなこの状況で、それでも「人の温かさ、家族の愛情」を心の底から感じることができる自分は、幸せなのだと思う。完璧人間に誇りを持っていたころの孤独感は今はまったくなく、自分は独りではないということを感じられる穏やかさがある。

 

 

さて、最近の自分のテーマは、やはり自分の使命や天職についてと、お金に関しての常識を疑う、ということだ。お金を得るには、普通の人はたいてい「自分の労働力で得られるもの」と思っていると思う。そして、それ以外で得たお金を何か汚いもののように扱う。パチンコなどのギャンブル、株式投資不労所得、他者からもらうお金、などなど。そしてお金持ちの煌びやかな生活に嫌悪感を感じたりする。

お金に苦労していたり、もっとお金があったらなぁ・・・と常に思っているにも関わらず、実働以外で得るお金に対して、自ら毛嫌いして遠ざけるのである。

 

 

こうした親からのお金に対する刷り込みは、どこかで気づいて変えない限り、一生そのままであり、お金はとくに想念が一番のる分野でもあるため、悪いイメージを持っている限り、一生お金に苦労して不安の付きまとう人生になる。

また、収入が多い少ないは、「自己否定の多い少ない」とまったく比例していることを知り、やはり起業するからにはそれで自立したいので、自己否定の根源を徹底的に探ることにかなりの時間を費やしたと思う。

 

 

わたしは起業するときに、徹底的にお金に対する思い込みも見直した。シングルマザーが起業するには、やはり子どもの生活も掛かっているので、十分すぎるくらいの自分の思考の見直しが必要と感じたからである。周りが遊んでいる間、テレビを見ている間も自分は少しでも時間があれば「自分」というもの「お金」というものについて整えた。

 

 

その甲斐あってかこの誰もがうろたえそうな危機的状況でも、自分はだいじょうぶであることに自信がもて、毎日子どもたちと笑って過ごせるのである。それもこれも、「お金」とはそもそも何なのか、お金の法則などを勉強したから。

どん底は、自分がどん底だと思わなければどん底ではない。

「わたしがこの状況だったら、うつになってるわ!」と叫んだ母親の意見は、世間一般の声だと思う。

 

 

だけど恐怖と不安は、「わからないこと、知らないこと」が原因である。日本人は自分たちの毎日使っているお金に対する勉強をする機会が少ないといわれている。

まさにそれは致命的とも私は思う。人生で命と健康に並ぶほど大切なお金について、

ほとんどの人が学んでいないのだ。健康に関してもそうだ。人間の健康について、人体機能の精密さ、病気のメカニズム、そして、自分の使命や存在している意味、人生での役割について、何も知らずに生きている人は多い。

 

 

人は「幸せになりたい」とよく言うが、そもそもどういう生き方が幸せなのか、自分という存在を知り、自分という人間をどう使いこなして、どう社会に役立てていくのか、徹底的に知ろうとする人は少ない。逆に言えば、これを徹底的に明らめて自分を上手に使いこなせている人が、たくさんの社会貢献をし、それに見合った収入を得ているのだと思う。自分という人間を知って自分を大切に生き、正しい使い方を知らない限り、幸せになんてなれないということだ。

 

 

そういうことを考える機会がなかった人は、生活するには困らないお金と、安定した職業と、休日にできるちょっとした趣味と、で一生を終えていくのかもしれない。

そういう生き方を、自分もできるものならそのほうがいいのかもしれない。

けれど、徹底的に自分というものを洗い出した結果、自分は到底それをできるような資質ではない、ということが判明してきたのだ。

 

 

自分を表す単語しては、常識破り、開拓者、NO1、危険、冒険、勝負、リスク、世界、自由、情熱、爆発力、などなど。

安定や保障という言葉にまったく魅力を感じない理由がわかった。

 

 

人には適材適所がある。こうして日々自分とは何者か、自分が社会で最大限人の役に立つには?と考えていった結果、どうしてわたしが正社員や型にはまった生き方は、死んだも同然な気持ちになるか、すごく府に落ちた。

 

 

好きなことをやっている限り人は死なない。

人になんと言われようが、自分は自分にしか生きられない。他人の目にオカシイやつと映ったとしても。

 

 

これが自分だ!と言える生き方は、ときに常識破りだ。常識破りなほど貧乏生活になる可能性もあるわけだが、そこはやはり、自分と家族と、世の中のためにも、いい方向にエネルギーを使って生きたいと思う。