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発達障害シングルマザーが起業した

発達障害のシングルマザーが起業、子育ての迷走、奮闘を綴っていきます。

やりたくないことをやらない強さ

やりたくないことはやらない、というと、どんなに我儘で傲慢な人間だと思われるかもしれない。正確にいうと、わたしの場合はやらないというより、できないのだ。

これもまた、我慢が足りないとか怠けてるだけだという声が飛んでくるのだろうが、わたしの場合、やりたくないことを我慢してやっていると、体調が本当に悪くなるのだ。

 

 

2016年の2月あたりまでは、生活のためにマッサージの仕事をやっていた。ところが、もうそのときはすでに開業準備のために空き時間にはとにかく勉強をしていたし、

代替医療のほうの勉強が楽しすぎて、マッサージの指名なんて1つも入らなければいいのにと思っていた。朝から2時間コースなど指名が入っていようもんならどんよりした気分になり、終止やりたいことができない2時間、イライラして、早く時間が過ぎないかな、と思っていた。

 

 

とにかく自分のやりたいことができないことが本当に嫌で嫌でしょうがなかった。

もうそのときはすでにマッサージでは根本解決にならないと確信していたので、(もちろん根本解決じゃないから不必要ってわけではないけどね。そのときはまだ考えが若かった!)

シフトの関係で最後のほうはお願いされて、責任として出勤していたが、ついには10円はげができてしまうほどだった。興味のないことはできないし、今やりたいことがすべて。猪突猛進のわたしには、生活のためとか、こどものため、とか、自己犠牲を伴うやりたくないことに時間を使うくらいなら死んだほうがマシだと本気で思う。

 

 

やりたくないことを断ることは、自分を大切にする尊い行為だと思っている。ただしその代わり、かなりの勇気も必要だ。人は、YESのほうが楽だからである。

徹底して自分の意に沿わないことにNOを貫くことは、周りとの軋轢を生む。そして、嫌われる。見ている人(不自由な生き方をしている人)を不快にさせることもあるからだ。

 

 

そんなんじゃうまくやっていけないよ、考えを改めるべきだ、我儘放題だとダメになるよ、子どもがいるんだから、子どもが可哀相、大人になりきれてない、など、批判は必ずくる。大体、そういうことを言ってくる人のなかに、わたしほど自分と向き合った人はいない。批判はいつも外野がしてくる。ある程度のストレスはあっても、ちょっと愚痴れば過ぎていくようなぬくぬくと温室で生活しているからこそ、自分の生き方について真剣に考えることがないんだろう。自分の偏った考えに他人をあてはめ、自分も不自由なんだから、お前も不自由でいろよ的なプレッシャーをかけてくる。

 

 

やりたくないことでも我慢してやることを強要されると、またそこで持ち前の反抗的態度がむくむくと顔を出す。「やりたくないことだって皆やって生きてる」的なことを言われると、しらねーよ!断るのが怖くて、皆が好きでそれやってんでしょーよ!となる。だって、断って相手が嫌な顔するかも、とか、人間関係悪くするかもと怖くなって自分の気持ちを見ない振りして【自分で我慢を選択して】やってるんだから、わたしには関係ないはずで。人は何時でも自分で選択しているのだから。

 

 

徹底的な自分軸はときに周囲との軋轢を生むが、わたしはもうこの生き方をやめるつもりはない。本来の自分を生きてる充足感を感じることができているし、今はうまくいっていないようにみえても、着実に幸運期に入っていっている感覚もある。

なんでもそうだが、まずは常識を疑うことが大事だと思う。

【常識とは、18歳までに身に着けた偏見のコレクションである】有名なアインシュタインの言葉。

 

 

親も家族も、パートナーも、友人も、仕事仲間も・・・

そのひとの常識で自分を裁いてくるときがあるかもしれない。でもそれは、間違いなくその人の体験をもとにした教訓を常識としているわけで。その人の体験である限り、その教訓は、その人にかあてはまらないし役に立たない。だって自分はその人ではないから。

 

 

常識は偏見だ。常識なんてものは実は実体がないのかもしれない。

これをしっかりと理解し、自分は誰にも惑わされない、と覚悟を決めた瞬間から、人生の可能性が開けていくのだと思う。